2010年 6月 11日

5泊6日の東京&韓国旅行から6月9日に帰ってきました。

いや~、韓国は暑かったです。連日、30度超えの真夏日で夜も暑くて寝苦しかったです。

それに対して6月9日の北海道は、機内から出た瞬間に感動的な寒さが私を出迎えてくれました。東京も結構、暖かかったので余計に寒く感じたのかもしれません。

さて、ちょっと今回の旅を振り返ります。前回、ソウルに到着した日まで書いたのでその次の日(6月6日)から書きたいと思います。

6月6日は韓国南部に1泊2日で行く予定だったのですが、南東部(プサン、慶州、蔚山方面)にしようか、南西部(木浦方面)にしようか、前日の「計画を立てる日」では結論が出ませんでした。この結論がでなかった理由は南西部も南東部もKTXで3時間以上かかり、運賃もほぼ同じくらいという点と、行って何をしようか目的がはっきりしていなかったからです。

当日の昼になっても決められず、ロッテマートでガイドブックを片手に昼ご飯を食べながら考え、とりあえずソウル駅に行くことにしました。

そこでも少し考えた結果、釜山方面は去年に行ったので、全く行った事のない木浦にいくことに決めました。木浦は日本統治時代に、たくさんの日本人が住んでいたこともあり、未だに当時の建物が残るという日本人には興味深い場所でもあります。

木浦へはソウル駅からではなく、龍山駅が始発になるのでそこへ移動し、13時台のKTXに乗り込み、そこでガイドブックを熟読し、木浦のどこを巡ろうか考えました。16時30分近くに木浦に到着し、とりあえずはガイドブックにある地図を参照して、観光案内所を探すことにしました。

しかし、観光案内所がなかなか見つからず、結局、案内所は諦めることにしました。というのも私が持っているガイドブックは今年1月に光州に行った際に、寸法があまりにも違うというミスがあったので、それ以来、あまり信用していないからです。

とりあえず、ガイドブックにある日本の関連した建物が残る方面へ歩いていくと、途中から坂道があり、ちょっとした山が見えてきました。これは儒達山(標高228メートル)という木浦では有名な観光名所で、運動にも最適な山でもあります。

私自身、本格的な山登りは嫌いですが、あまり標高の高くない山登りは好きなので、そのまま登ることにしました。ちょっと登ると市街を一望でき、ここでまずは街の構造を確認しました。

歩道の方は比較的整備されていたので、歩きやすかったですが、気温は17時を過ぎているのにも関わらず、あまり下がらず、暑かったです。当然ですが、後半に行くにつれ徐々にきつくなり、最後の方になるとかなり息が切れました。

疲労度で比較すると、水原華城一周(全長5.7km)、香港のビクトリアピーク(標高約400メートル)並みでした。標高228メートルとはいえ、ここ最近、あまり運動していなかったことも、きつかった原因だと思います。

下山後は日本統治時代の建物をちょっと見た後、港方面へも行き、そのついでに宿を探すことにしました。

港近くに小さな旅人宿が2件ほど並んでたので、ちょっとそこをウロウロしているとそこを経営する70代ぐらいのおばあさんが、「泊まる場所をさがしているのかい?」といったようなことを言われたので、とりあえず部屋を見せてもらうことにしました。宿自体が普通の家のような感じで、部屋は急な階段を上ったところにある屋根裏部屋といったところでした。宿泊代は1泊15000W(日本円で1100円~1200円)でしたが、蚊に刺されそうだったことと、インターネットができないという点から、断ることにしました。

実際のところ、インターネットに関しては部屋でできなくても問題はないのですが、日本の実家に一日一回、メールででも無事を知らせる必要があったので、今回はネット可能な宿を探していました。ただ、その人の話ではこの周辺にネットが出来る宿はないとも言っていたので、ネット以外での連絡する方法も考えることにしました。

とはいってもネット以外では国際電話しかなかったので、木浦駅前に戻り、近くにあった公衆電話からかけてみることにしました。とりあえず持っているだけの小銭(小銭しか入れられないため)を投入しましたが、お金を入れている途中に時間切れになり、再度やり直せとアナウンスが流れてしまったり、上手くいきません。しまいには受話器を一旦起き、再度やりなおそうとしたところ、返却口部分のフタが開けっ放しの状態になり、返却される小銭がどんどん地面に落ちる始末。もう電話はここであきらめ、PCバン(日本で言うネットカフェ)を探すことにしました。

そうこうしている間に、徐々に暗くなってきたので宿探し、PCバン探しは中断し、夜景を撮影するため、再度、山に向かいました。ある程度、一望できる位置まで登り、撮影後は再び宿探し、PCバン探しを再開しました。

PCバンは何件か見つけましたが、一度も行ったことがなく、システムもよく分からないので私には入る勇気がなく、ここも諦めることにしました。

ただ、このままでは時間だけが過ぎていくので、ある方法を考えました。それは先程断った旅人宿に行き、そこで5000Wをプラスして宿泊することにし、その宿からかけるという方法です。

とりあえず、その旅人宿に戻り、玄関付近で呼ぼうとしたところ、おばあさんが気付いたので、まだ部屋があれば泊まりたいと伝えると先程の部屋に案内されました。その際に5000Wプラスするから2分間だけ国際電話をしたい旨を伝えると、内線でそこのご主人と連絡をとり、OKということになりました。

でもなんとなく不安そうな雰囲気だったので、10000W追加し、電話がある1階へと移動しました。すると、そこのご主人に横に座れといわれ、携帯電話を渡してきました。固定電話の方が安いんじゃないのと思いつつも、携帯電話からかけることにしました。しかし、いきなりその携帯の電池がメーター一つになり、その上、なぜか上手くいきません。

2階に戻り、ガイドブックを見たところ、通常、国番号の後の市外局番の0は除いてかけるところ、私はそれを含めてかけていたことに気付きました。戻ってきたついでに、固定電話があったので指を指しながら「イーチョナヌン アンデヨ?(この電話は駄目ですか)」というと、やはり携帯からと言われました。

さっそく、再度かけようとしましたが、そこのご主人がそのガイドブックを手に取り、黙読し、私がかけるから番号をここに書きなさいと言われました。

自分でも間違いに気付いたので、「アッカ チャルモッテッソヨ(さっき、間違えました」と言い、理由を説明しようとしましたが、0を含めて掛けてしまったという事がいえず、仕方なく電話番号を紙に書くことにしました。他国とはいえ、あまり個人情報は公開したくはなかったのですが、携帯の履歴にも残るのでそこは割り切り、かけてもらいました。無事電話はつながり、秒数は55秒でした。すると5000Wは返してくれました。

部屋に戻る際に通路を挟んで向かえにあるトイレとシャワーの説明を受け、もう休むように言われました。部屋にはテレビもありましたが、部屋の四隅を見ると、私の嫌いなくもの巣がちょっとはってありました。トイレとシャワーの方も虫が一匹飛んでおり、とても休める状況ではありませんでした。

そこで少し考えた結果、この宿から出ることにしました。ただ、一度断っているということもあるので、置手紙をしてそっと出ることにしました。

手紙には「電話への感謝、インターネットがやはり必要なので23時15分までネットができる宿を探して、あればそこに行き、なければ時間までに戻ってくること、最後に戻ってこなくても当然、お金は要らないこと」を書き、内線で店に行く旨伝え、出て行きました。

ちなみにハングルを書くのはあまり慣れておらず、最後の方はハングルの読みをローマ字で表して書きました。私の場合、音を中心に韓国語に触れてきたので話せても書けないということがよくあります。文字中心でやってきた英語とは違った現象が起きている点が面白いなぁとも感じます。

宿を出た後は、駅近くにあったちょっと綺麗そうなモーテル(韓国の場合、日本でいうビジネスホテル)に入ってみました。すると、非常に感じの良い30代前半の兄さんが出てきたので、1泊25000Wでここに泊まることにしました。フロントでは韓国語が上手だと言われ、10分ぐらい会話をしました。北海道も知っており、雪が多いということも知っていました。

部屋の中は旅人宿とは大違いで、インターネットはできないもののやっと落ち着けました。この日はこれで就寝しましたが、宿を現地で探すというのは初めだったので良い経験になりましたし、思っていたより簡単でもありました。全く日本語が使えない状況で色々とやりとりできたことは少なからず自信にもなりました。

次の日(6月7日)は朝8時台のKTXに乗り、午前中にソウルへ戻りました。戻った後は昼を食べ、一旦、ソウルのホテルに戻りました。その後はまたまた1泊2日で中東部の方へ行こうと思ったのですが、一時的に雨が降っていたことと計画が煮詰まっていなかったこともあり、結局中止にしました。

やはり行く前にある程度計画を立てないと、私の場合は駄目なタイプのようです。結局、この日は4~5時間そのまま部屋でパソコンをやって、その後、ソウル市内の行っていない地域へ行くことにしました。そうこうしている内に夜になり、繁華街を歩いていると客引きに呼び止められました。基本、私の場合は「チョヌン イルボン サラミンデヨ(私は日本人なんですけど)」と先に言って、そのまま歩くところなんですが、この時は「よく日本から来たね」みたいな感じになり、韓国語も上手いといわれたので、少し話すことにしました。

この日は調子が良かったのか7~8割ほど、相手が言っていることが理解でき、会話もそこそこ弾みました。結局、20分ほど会話しましたが、店に寄ってってという感じなったので、私の決まり文句である「ネイル イーシガン タシ オルッケヨ(明日、この時間にまた来ます)」ということを伝え、ここを去りました(当然ですが明日は来ません笑)。

ちょっと歩くと、また別の客引きに遭遇しました。この客引きは30位の太り気味の兄さんだったのですが、ちょっと面白くて、かたくなに断っていたら、その人が冗談っぽく「ドクトヌン ウリッタリエヨ(独島は我々の領土ですよ)」と言ってきました。さすがにこれには笑ってしまいました。ここは軽く流して、この繁華街を去り、夕食を食べてこの日は終了となりました。

6月8日は日帰りで東部の方に行くことも考えましたが、やはり計画不足もあり、地方巡りはやめて市内で過ごしました。この散策中にも突然話しかけられ、留学生に間違われたりと、一人で行ったのに随分と会話をした旅でした。

この2ヶ月間、英語ばかりやり、韓国語は休んでいたのでレベルは少し落ちたかもしれないと思っていましたが、逆に英語をやったことにより、韓国語もどこかでレベルアップしてたのかなと思いました。

もちろん、本当にまだまだですが、韓国語に関してはおそらく、20代のうちに上級レベルまでには行けそうな手ごたえは感じています。来年はもっとしっかりと計画を立てて、もうちょっと長い日程で地方巡りできたらなと思います。

あと、最終日の6月9日ですが、13時に成田に到着し、15時ぐらいに上野のアメ横に行きました。アメ横では、今まで使っていた鞄がボロボロになってきたので、1000円ぐらいで使いやすそうなのがあればと思い、探していたところ、人が群がっているお菓子売り場を目にしました。

せっかくなので私もその群に参加し、中を覗いてみると東京の土産が格安で売っており、例えば通常840円のもの人形饅頭が200円などかなりお買い得でした。数量限定ということもあり、まるで号外の奪い合いのような感じでしたが、私は人形饅頭とアイLOVE東京チョコレートをゲットし、300円で購入しました。私自身、お菓子はあまり食べないので買わなくても良かったのですが、家の土産にもなるし、こういうタイムバーゲン自体好きなので買いました(近所のたまご88円セールも時々並んだりします笑)。

その後は適当に時間をつぶした後、20時20発のスカイマークにて帰宅しました。大体、今回の旅はこんな感じでした。正直、計画があまり立てられない状態で行ったこともあり、旅行の内容自体は薄かったですが、現地の人達とここまで話したこともなかったので面白い旅でした。また、泊りがけで行く地方の面白さというのも新たに見つかり、意味のある旅行になりました。

本当は他にも飛行機でのエピソード、ソウルの宿泊先でのエピソードもあるのですが、全て書くととんでもない長さになるので、また機会があれば書きたいと思います。

なお、今回掛かった費用ですが、家からの交通費から全て含めて135000円ほどでした。今年1月に行った11泊12日の旅行では150000円ぐらいだったので、ちょっと掛かりすぎたかもしれませんが、今回はウォン高だったので、いつもよりかなり多めに両替(30000円)し、24万ウォン(18000円ぐらい)を余してきたので、実質11万円台だといえます。

最後に、もしかしたら文が長くなっている分、誤字、脱字、文がおかしいという部分もあるかもしれませんが、あまりこういう文章はチェックせずに書いているので、その辺は軽く流してください笑。

投稿日時:2010年6月11日11:25

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